原動力は唐津への恩返し
~JCC産学連携のかなめが担う“通訳”業~
ジャパン・コスメティックセンター(以下、JCC)で働く人々にスポットを当ててきた本連載、職員の最後を飾るのが藤岡継美さん。九州大学出身の産学連携担当にして人材育成部門のチーフコーディネーターです。
藤岡さんの最初の印象は“陽気なおねえちゃん”。そして、今回取材を進めていくうちに感じたのは、“地頭の良さ”と“唐津への愛情”でした。出身地ではない唐津と藤岡さんがどのように関わり、現在の仕事につながってきたか、彼女と関わりの深い唐津市の旧大島邸でお話を伺ってきました。
13年目の唐津暮らし
藤岡さんの出身地は神奈川県横浜市。小学生の頃母親の実家がある北九州に引っ越し、それから九州で育ちました。出身校でもある九州大学で働いていた2009年に、縁あって唐津に来ることになったそう。
―まずはおめでとうございます。先日40歳になられたんですよね。
藤岡:ありがとうございます。20代後半で唐津に来ましたので、30代はずっと唐津で、40代も唐津住まいになりそうです(笑)
―最初は2009年に「からつ大学交流連携センター」の職員として九州大学から来られたんですよね?
藤岡:九州大学の子会社にあたる産学連携機構九州、九大TLOというところが唐津市から事業を委託され、そちらの職員として来たのが最初です。TLOとは、Technology Licensing Organizationの略で、技術移転という言い方をするのですが、大学で生まれた知識や技術などを民間で使えるようにとか、産学のマッチングを図るといった組織です。唐津市から産学連携事業に関する依頼を受けた時の九大TLOの担当者が九大ビジネススクールに通っていた時の先輩で、当時私は九州大学の建築学科スタッフとして働いていたのですが、唐津につくるセンターの人員募集があることを聞き、応募させていただきました。
―どういったお仕事内容だったのでしょうか。
藤岡:唐津市には大学がないため、まずは市民の方の大学に対する心理的な距離感を縮めるために、大学と連携してまちづくり、大学の“知”を地域で活かすセンターを設立しました。当時唐津市は九州大学、早稲田大学、佐賀大学と連携して様々な事業をしており、その連携窓口が業務ですね。大きな学会が唐津であるときはそのコーディネートをしたり、シンポジウムのお世話や、まちづくりにも関わらせていただきました。九大と唐津市が共同研究を行って生まれた完全養殖のマサバ「唐津Qサバ」のプロジェクトにも関わりました。大学生と一緒にUstream配信から、唐津市内の中高生と唐津が将来こうなってほしいという絵本を一緒につくったり、焼き物の専門課程がある佐賀大学と唐津の郷土料理を唐津焼の器で食べるといったイベントを開催したり、唐津やきもん祭のスタート時にも関わらせていただきました。唐津市城内地区全体をミュージアムと捉え、調査、イベント等を行う「まちはミュージアムの会」などの活動もありますね。
―ものすごく多岐にわたる業務ですね。こちらの旧大島邸も大学交流連携センター時代に関わられたと聞きましたが、
藤岡:はい。こちらの建物はもともとここから300メートルほど離れた場所にあったのですが、私が唐津に来た2009年の時点では近くの小学校の増改築のため、取り壊す方向で進んでいました。ただ、明治時代のすぐれた建築物であり、旧唐津銀行の創立者でもある大島小太郎の住まいだったこともあり、保存を求める声も少なからずあったんです。市民団体の方の勉強会に九大芸術工学部の先生に来ていただいたりする過程で関わらせていただき、建物だけでなく、庭なども含めた移築保存が決まってからは、建物の利活用を話し合う「文化的資源を活用した城内まちづくり計画策定委員会」の委員長なども務めさせていただきました。
―保存運動に関わられたわけではないんですね。
藤岡:移築された後の利活用のことがメインです。旧大島邸に関わってよかったと思えることとして、「なぜこの建物を残すのか」ということを深く学べたことです。大島小太郎さんという人が唐津にとってどんな人物だったのか、その人物を育んだ耐恒寮(高橋是清が教鞭をとった唐津藩の英語塾。塾生に辰野金吾や曾禰達蔵なども)のことを調べると、早稲田大学の2代目総長となった天野為之が出てきたり。近代唐津について知り、この場所をどのようなポジションに位置付けて活用できるかということを考えましたね。
―建物が残ることで近代日本と唐津との関わりをより深く知ることができますし、今ではお茶会やひな祭りのイベント、唐津焼関連のイベントなどもよく催されていますよね。
藤岡:活用されて町の人が愛着を持っていくようにならないと、自分たちの誇りだと思えず、ただ保存されただけになってしまいます。なかなかいまは忙しくできているとは言えませんが、一連のことに関わった私としては、これからも関わり続けていく努力をしていきたいと思っています。
もともとは唐津市の南城内でも大きな道に面していなかった大島邸は、移築保存されることでその価値が見直され、市民に親しまれる場となってきています。今回の取材と撮影場所として藤岡さんから旧大島邸の名前があがったときは、「素敵な建物なのでよい写真が撮れそう」とだけぼんやり思ったのですが、旧大島邸が“あの場所にあること”自体が、藤岡さんが唐津で過ごしてきた日々を表していました。
「化粧品」は“サイエンス”としてもおもしろい
「唐津には藤岡がいるから大丈夫」と周囲からお墨付きをもらった藤岡さんは、からつ大学交流連携センターの任期を終えた後、大学連携の専門職として唐津市の直接雇用となります。大学のない唐津と各大学はじめ研究機関との連携に欠かせない人材として、またその飾らない人柄と骨身を惜しまない仕事ぶり、フットワークの軽さから、藤岡さんは唐津にとってもなくてはならない人になっていきました。
―JCCに入られたのは2016年ですよね。
藤岡:2016年の4月ですから、もうすぐ丸5年になります。もともと2014年の発足当時から大学交流連携センターとして、JCCとはさまざまなところでご一緒させていただいていたのですが、唐津市での任期の終わりとJCCでの産学連携担当者の募集が重なり、応募して、採用いただくことになりました。
―web magazine file.03 の堤さんのところでも少々触れましたが、産学連携はJCCの強みですよね。各研究機関や大学との連携がとれているからこそ、地産素材一つとっても他との違いが見つけやすい環境にあると言えるのではないでしょうか。
藤岡さんはそれまでもずっと大学連携をされていたわけですが、コスメに特化した連携ということにとまどいなどはありませんでしたか。
藤岡:実はJCCの産学連携担当の募集があると聞いた当時は、化粧品についての知識不足から、化粧品がサイエンス(学問)と言えるのか疑問だったんです。化粧品というといわゆるメイクアップというイメージが強く、生活に必ずしも必要なものではないというイメージだったのですが、実はシャンプーやリンスなどのヘアケアやスキンケアなど、健康や日々の暮らしの向上につながる、とても身近な学問であることに気づきました。さらに、皮膚科学といった高度な分野だけでなく、スキンケアをするだけで気持ちが高揚するという心理的な効果、文化的な側面、歴史や香りなども含めて、社会科学的な面からみてもとてもおもしろい学際的な学問分野だとわかったんです。
―きれいになりたいといった部分での興味ではないのが、藤岡さんらしいですね(笑)
藤岡:昔から、知らないことを知るのが好きなんです。大学連携という仕事が苦にならなかったのは、この仕事をしていると、超一流のさまざまな先生と会えて、まったく知らないことを丁寧に教えてもらえる。こんな役得はありません。
藤岡さんに産学連携担当の仕事について伺うと、「通訳」という答えが返ってきました。確かに、いわゆる“先生”方のお話は、専門的過ぎたり、用語が独特だったりとなかなか理解しづらい時があります。また逆に先生側にとっても企業や一般の人々と言葉が通じず、ストレスを感じることがあるでしょう。自治体との間であっても同じで、そんなとき藤岡さんが間に入り“通訳”をすることで、産学官の連携がスムーズにいくと言います。
人とつながり、つなげ、育てる
―2018年からはKaratsuStyle(file.05参照)の代表取締役もされてますよね。
藤岡:前任者から引継ぐ形だったのですが、産学官民でいくと“産”のところを体験し、勉強させてもらっている部分が大きいです。今までずっと頭の中で理解していたことが、地域商社としてお金を実際に動かしつつ、商品や生産者さんに関わらせていただくことで、実体験を伴ってよりリアルになりました。
自分のなかで体感や体験として足りなかったものを地域商社をやりながら、学ばせていただいています。このことで、本来の“通訳”業務もよりはかどるようになりました。
―産学連携以外にも、人材育成も藤岡さんのお仕事なんですよね。
藤岡:JCC主催のセミナーなども担当させていただいています。唐津でも開催しますし、東京等で開催することもあるのですが、それこそ会場の手配から講師への依頼にアテンド、チラシの作成に当日の司会進行まで、九大の時からの積み重ねで、全工程を一人でもできるくらいには鍛えられましたね(笑)
また、唐津南高校では、年間を通して授業を行いました。1年生にはマーケティングなどについても教えますし、3年生の生活教養科では、実際の商品を作って店頭に並べ、販売するところも経験してもらいます。
―先日授業を見学させていただきましたが、生徒さんたち楽しそうでしたね。
藤岡:コスメについての授業は、高校でも大学でも人気があります。
いまJCCでは、佐賀大学との共同研究をさらに密にする取り組みが進行中です。
4月から埼玉の城西大学で教鞭をとられており、化粧品研究者として優れた技術と知見、幅広い人脈を持つ徳留嘉寛(よしひろ)先生がJCCに着任してくださるのですが、その先生をプロジェクトリーダーとして、産学連携のプラットフォームを再構築していきます。
唐津と玄海町を中心としたコスメ産業の集積をはかるの唐津コスメティック構想なのですが、研究拠点としての整備はまだまだですので、これまでの人脈を生かしつつ、その面での強化も進めていっているところです。
将来的には佐賀大学で化粧品の講義を行い、特色ある内容に惹かれた優秀な学生を佐賀に呼び込みたいといったこともあります。現在14の支援大学があるのですが、研究がそれぞれ点で存在していました。徳留先生を中心に産学連携のスキームを構築し、ハブとなる場所を作りたいと検討中です。
まだ果たせていない唐津への“恩返し”
ー最後に藤岡さんのこれからの夢や目標についてお聞かせください。
藤岡:私の想いとしては、もともと唐津には大学の機能をつくることを期待されて呼ばれたので、その役目をきちんと果たしていきたいです。今やっとそれに近いところにきたと思えています。研究開発により新しい知識、技術が生まれたり、人が学び育つ環境を整えていく場所を、唐津市なのか佐賀県なのかはまだわかりませんが、コスメの事業を通してつくりたい。いまはそれが少しずつ見えてきています。
縁もゆかりもないところへ来たにも関わらず、唐津の人たちには本当によくしていただきました。正直これまで唐津を出ようと考えたことがないとは言えません。ですが、そのたびに「まだこの町には何も返せていない」という想いでここまでやってきました。これからはコスメティック構想の“成果”という見えるものとして唐津の地で恩返しをしていきたいですね。
唐津駅近くのお店をふらふらしていると、たいがいどこかで出くわす藤岡さん。また、町の人と話しているときにもちらほら話題にあがり、狭い町とはいえ、その顔の広さと町の人たちからの愛され方には驚かされます。
藤岡さんが唐津に来て13年。また新たなスタートを切るJCCで、藤岡さんの“恩返し”は続きます。
TOP PHOTO: Koichiro Fujimoto
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