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Aiko Ikeda

file.01 松永奈緒美 Naomi Matsunaga

更新日:8月8日

国を超えた企業間の"マッチング"をコーディネート

~フランスのフリーランスデザイナーが唐津で働き始めた理由~


抜群の安心感をもつ、JCC国際連携のかなめ

フランスの大学でマーチャンダイジング(マーケティング戦略・商品化計画)を学んだ、元フリーランスのデザイナーさん。フランス語が堪能で、ジャパン・コスメティックセンター(以下、JCC)と協力連携協定を結ぶフランスのコスメティックバレーほか海外との連携に欠かせない女性。


JCCでコーディネーターとして働く松永奈緒美さんをざっと紹介すると上記のようになります。実際にお会いした第一印象も「仕事のできる美人さん」だったのですが、お話を伺うと、落ち着いたやわらかな声が心地よく、なんというか、とても安心感があります。


コーディネーターfile.01では、設立初期からJCCに関わり、国際取引を中心に信頼を築いてきた松永さんにお話を聞きました。



出身は東京、ふるさとは佐賀

佐賀県出身のご両親のもと、東京で生まれた松永さん。父親が転勤族だったため、日本各地で少女時代を過ごしたそう。


松永:母方の実家が唐津でしたので、小さい頃から唐津にはよく来ていました。まさかこの地で仕事をすることになるとは想像しておらず、とても不思議な縁を感じました。


鏡山中腹より唐津湾を望む

−−ふるさとが佐賀なんですね。フランスにはいつ頃行かれたんですか。


松永:フランスに行ったのは大学を出たあとです。20代の7年ほどをフランスで過ごしました。もともと海外への興味があったのですが、日本の大学でインテリアデザインを学び、当時の先生の影響でフランスに旅行したのが大きなきっかけですね。語学留学で1年半ほどフランスに行き、いったん日本に戻って外資系のインテリアショップで働いた後、フランスの大学でビジュアルマーチャンダイジングを学びました。


「消費者の求めに応じて,適切な商品を市場に提供する企業活動がマーチャンダイジングである。」(平凡社「世界大百科事典第2版」より)とされています。その商品を必要とする人に、ちょうどいいタイミングでどのように届けていくか。肌の乾燥する冬に清涼感のある化粧水を売っても、そこに多くの消費者のニーズはなく売れません。松永さんは商品を「適切に」消費者に届ける視覚的な方法とインテリアデザインの知識を活かし、お店のディスプレイなどのデザインを任されるようになりました。


−−フランスの大学生活は、日本とはかなり違うみたいですね。


松永:そうですね。私の場合、2年目からは企業にも属し、1年のうち半年は大学で学び、半年は企業で実地経験を積むような生活でした。そうこうしているうちに、個人でもデザイナーとしてアパレルのショップや薬局のディスプレイを頼まれるようになったんです。個人宅の中庭の改装等の経験もさせていただきましたね。



JCCとの出会いはフランスで

松永さんは、フランスでの自分を「水を得た魚」のようだったと振り返ります。20代も後半に入り、帰国も視野に入れ始めた頃、佐賀に戻っていた父親からおもしろい動きがあることを知らされました。それが、「唐津コスメティック構想」であり、唐津市とフランスのコスメティックバレー(以下、CV)との提携の話が進んでいるというものでした。


「佐賀にも自分のスキルを活かせる場があるかもしれない」


そんなことを考えていた矢先に唐津の親戚を通して唐津市からCVへの視察団の通訳兼アテンドの仕事が舞い込みました。


パリから電車で1時間半ほどのシャルトル市を中核都市に、フランスの経済を支える一大産業としてコスメ関連の企業や研究機関、原料の生産者などが集まっています。約600の会員企業に8つの大学、200にもなる研究機関……国の競争力産業クラスター(集団・団体)に指定されているCVには、ゲランやロレアル、LVMH、シャネルといった大手企業だけでなく、その大半は中小企業が加盟しています。関連するあらゆるサプライチェーン(原料の生産から製造、流通といった消費者の手元に届くまでの一連のつながり)が産業全体の国際的な競争力を磨いています。


そちらを手本に、唐津をアジア市場を見据えた日本のコスメティッククラスターに、という構想の第一歩となる視察団でした。


2012年フランス視察時

唐津はコスメティッククラスターになり得る

そもそものはじまりは、2012年1月フランスCVの2代目会長であるアルバン・ミュラー氏(現JCC会長)の唐津来訪です。ミュラー氏が創業したアルバン・ミュラー社は、オーガニックコスメのパイオニアで、中国を中心に経済成長が見込まれるアジア地域への進出を検討していました。


唐津にはアジアに近接する立地だけでなく、化粧品の輸入代行と分析を行う企業(株式会社ブルーム)や、化粧品のOEM企業の工場の存在、保税倉庫(外国からの貨物に対して一定期間徴税が留保される倉庫)、豊かな地域資源があることから、ミュラー氏の目に留まり、唐津でのクラスター形成の可能性が示唆されました。


ミュラー氏の視察を受け、ブルームの山崎信二社長からの相談が市役所に持ち込まれ、2012年6月にフランスへの視察団が送られます。そのなかには、のちに唐津市のコスメティック産業推進室の室長となる八島大三さん(前JCC事務局長)の姿もありました。


2013年4月に唐津市とフランス・コスメティックバレーとの協力連携協定が結ばれ、11月にジャパン・コスメティックセンター(2015年に法人化)が発足。

いくつかの縁が重なり、帰国した松永さんの職場は、2014年1月から唐津市のJCC事務局になりました。



室長ひとりの“推進室”からのスタート

2013年9月、唐津市役所内に立ち上がったコスメティック産業推進室ですが、専任の部下はおらず、八島さんのひとり室長状態だったと言います。11月のJCC設立総会から約2カ月後に国際連携強化のための人材として松永さんが加入。少しずつ事務局としての体制が整いだしました。


−−JCCに入られた頃のことは覚えておられますか。


松永:JCCの職員公募に採用いただき、フランスとのやりとりが主ではあったものの、人手が足りなかったのでとにかく色々な対応で忙しかったことを覚えています。八島さんが室長で、事務の方と唐津市役所の別部署と兼務の方が2人の5人でしたね。JCCのロゴや最初のパンプレットのデザインも担当させていただきました。


−−こちらにはどういった意味が込められているのでしょうか。


松永:「JCC」という頭文字を産学官の連携になぞらえて、それらが混じり合いながら海外への架け橋となり、右肩上がりに成長してほしいという願いが込められています。また、フランスから見たときの日本は必ず東の端にあって、1番先に朝日が昇る国っていう表現をされるんですよね。ですから、橋とともに太陽をイメージした部分もあります。


「日出づる国」日本のコスメティック業界を牽引していこうという強い想いが込められたシンボルマーク。それは、困難な道のりには違いありませんが、実現性のある“夢”となってきています。



企業間のマッチングをセッティング

松永さんがJCCに入ってからもうすぐ7年になろうとしています。それは、そのままJCCという組織の国際的な歩みとも重なります。


−−松永さんが携わる「国際連携」とはどういったお仕事なのでしょうか。


松永:JCCは海外にある各地のコスメティッククラスターと連携協定を結んでいるのですが、フランスのCVをはじめとするEU圏のクラスター地域とのやりとりだったり、会員企業同士のビジネスマッチング、いわゆる“商談”のセッティングをしたり、会員企業の海外の見本市への出展や商談会の手配、海外からの視察の受け入れ、JCCの会長がフランス人ですから、報告書の作成なども定期的にしています。アジア圏はまた別に担当がいますが、ヨーロッパ圏とのやりとりを中心に関わっています。


とにかく最初はCVとの連携を強めることが急務だったため、幹部同士の接点を築くことからのスタートだったという松永さん。当初はフランスのブランド力と日本の技術力を統合させた化粧品のアジア市場への展開を目指す構想における国際取引の促進でした。


松永:当時の成約案件として多かったのはフランス製ブランドの輸入でした。ライフスタイルストアの「PLAZA」さんをはじめ、現在まで7つのフランスブランドがJCC会員企業とのマッチングにより日本で販売されています。

また、国の経済産業省によるジャパンブランド育成事業やローカルクールジャパン事業(日本の魅力を海外に発信していく取り組み)などにも採択を受け、唐津産素材を活用した日本ブランドの海外への販路開拓にも注力しました。椿オイルや実生ゆずなどは日本らしい素材として海外からも注目を集めています。


会員数14(うち企業3社)から始まったJCCの会員数はいまでは約180、国内メーカーの工場が唐津にできたこともあり、この7年間での付加価値創出額は120億円、JCCが関わることで生まれた雇用は380名にのぼります。更地だったところに種が撒かれ、少しずつ芽吹き始めています。



国際見本市「COSMETIC360」

コスメティックバレーの主催により2015年にパリで始まった化粧品に特化した国際見本市が「COSMETIC360(コスメティック・サンロクマル)」です。JCCは初年度から毎年会員企業とともに参加し、海外のクラスターとの連携も強化してきました。ルーブル美術館の地下にあるイベントホールで開催される化粧品の見本市という響きにはある種ときめきを感じるのですが、調整をする松永さんは毎回懐かしいパリの街を堪能する暇もない忙しさだと言います。


2018年Cosmetic360レポート(日仏友好160周年記念ジャパンパビリオン特別企画年)

松永:最初は日本から参加される皆さんの飛行機の手配からやりましたので、それはもうありとあらゆるお世話をしました。2015年は16社ほどの企業が参加されたのですが、各社負担の予算を抑えるために、1ブース1企業のところをCVと交渉の上、2社で使っていただいたり。毎回数十名の渡航者をアテンドするだけでも本当に大変で。

最近は要領を得たこともあり、少しずつ手放しつつ、企業の方に必要に応じたサポートに徹しています。また、毎年新しい国際的な取り組みや、「グローバルコスメティッククラスター」という世界各地のクラスターとの連携も本格化してきています。


COSMETIC360をはじめ国際的な見本市への出展や各地のクラスターとの協力連携協定を通し、日本のコスメティッククラスターとして佐賀県の唐津・玄海地域は国際的な認知度が高まってきています。



初のオンライン開催となった「e-COSMETIC360」に唐津から参加する松永さん(左、2020/10/13撮影)

世界を襲った新型コロナウイルスのパンデミックにより、人々の移動は大きく制限されることとなりました。くしくもそのことがオンライン化を大きく進め、世界の距離はある意味縮まったと言えるかもしれません。



デザイナーもコーディネーターも想いは同じ

これまでは企業間のマッチング支援だったり、展示会への出展支援だったり、どちらかというと点での支援だったものが、現在では国際的なネットワークも広がりが生まれ、面での大きな支援に変わるセカンドステージにJCCは差し掛かっています。組織としても転換期にあるいま、「これからの夢はなんですか」と松永さんに尋ねると、こんな答えが返ってきました。


松永:JCCの国際連携の立場では、いままで培ってきたノウハウをまとめて可視化していく段階だと思っています。自分の夢というと難しいのですが、自分の時間の多くを費やす「仕事」にいつも喜びを感じたいと思っています。

天職だと思ったのはデザインの仕事でしたが、海外に飛び出して自分のやりたいことをめいっぱいやった20代があって、いまは自分のスキルを活かすことができ、やりがいのある仕事をいただいているので、それだけで満足ではあるんです。でもやっぱりJCCという組織を考えるときに、そこでどう自分が貢献し続けられるかというのは、つねづね考えています。


−−デザインの仕事とコーディネーターの仕事では大きく違うと思いますが、デザイナーに戻りたいとは思いませんか。


松永:自分が出来ることを表現するというか、人から指示されるよりも自分で考えてできる仕事はやりがいがあります。とにかく“人の役に立ちたい”という思いが強く、人に喜んでもらえる人になりたいですね。

誤解を恐れずに言うと、アーティストは自分の世界観でものを生み出し、デザイナーはクライアントの要望に応えたものを生み出す人だとすると、私はデザイナータイプで、そういう意味では現在の仕事も自分の中ではあまり大きくは変わらないかもしれないですし、ありがたく思っています。


取材中に松永さんからたびたび感じたのが、「しなやかさ」でした。人の要望に応えていくとき、ともすると主体性がなくなることがあります。ですが、松永さんは、“その人にとって本当に役に立つことは何か”をしっかり考え、柔軟に対応してきたからこそ、多くの方の信頼を勝ち取ってこられたのでしょう。


唐津と世界がつながり、JCCの“ジャパン”の冠が名実ともになる日は、すぐそこまできているようです。


Top Photo: Koichiro Fujimoto

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